「ミスタープロ野球」で知られる長嶋茂雄ほか…老人ホームに入居している有名人

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有名人は、一般的に社会的な認知度が高い人を指します。彼らは様々な分野で優れた業績を上げ、メディアや一般の人々から注目を浴びてきました。有名人には俳優、歌手、スポーツ選手、政治家、作家、芸術家、実業家など、さまざまな職業や分野で存在します。有名人はしばしばファンやメディアの注目を受け、彼らの人生や業績について広く知られています。そんな有名人達も私達と同じ人間です。いつか年老いていきます。今回は、そんな有名人たちで老人ホームに入居している方をご紹介いたします。



長嶋 茂雄

元プロ野球選手で「ミスタージャイアンツ」として親しまれた長嶋茂雄氏が入居した施設は、高級な療養型病院として知られています。長嶋茂雄氏は千葉県印旛郡(現在の佐倉市)出身で、日本プロ野球の歴史に名を刻んだ選手の一人です。

長嶋氏は3人の子供がおり、長男はタレント・スポーツキャスターの長嶋一茂、長女はスポーツキャスターの長島三奈、そして次男は元レーシングドライバーの長島正興と、3人とも芸能界・スポーツ界で活躍しています。

彼が選んだ高級ホテルのような療養型病院は、高齢者や病気の方々のケアと快適な生活を提供するために設計されており、施設内では医療スタッフによる専門的なケアが受けられます。

長嶋茂雄氏の妻である亜希子さんが2007年に心不全のために64歳で亡くなったことは、多くのファンや日本中に衝撃を与えました。彼らは長い間にわたり幸せな家庭を築き、その悲報に多くの人々が哀悼の意を表しました。

また、長嶋茂雄氏自身も2018年7月に胆石を患い、都内の大学病院で治療を受け、その後、24時間体制でサービスが受けられる施設に入院しました。

長嶋茂雄氏が入院した療養型病院には、医師や看護師のほかにリハビリスタッフやケースワーカーが配置されています。また、食事は専属の料理人によって懐石料理などが提供され、お酒の持ち込みも可能である等、様々な点でホスピタリティの高さが感じられます。

特に、長嶋氏の部屋は施設内でも特別なお部屋で、キッチンが備えられ、お手伝いさんが身の回りの世話をしてくれるという贅沢な環境が提供されています。長嶋氏はこの療養型病院と自宅を行き来し、高齢となった今も健康維持に努めているようです。

ただし、このような高級な療養型病院は費用が高額であることが一般的であり、1ヶ月の費用が百万円を超えることもあるようです。

北大路 欣也

北大路欣也氏は、日本のベテラン俳優であり、数々の映画やドラマに出演してきました。京都府京都市出身で、1943年2月23日生まれです。80歳になってもなお、現在も芸能活動を続けています。
北大路欣也氏は、2015年(当時71歳)に、6歳年下の妻の祥子さんと夫婦で介護付き有料老人ホームに入居しました。

北大路欣也氏が現役の俳優を続けながら老人ホームで暮らすことを決断した理由については、両親との経験が影響しているという説があります。北大路欣也さんの父親は認知症を患い、母親はその介護に追われていたそうです。二人の間に子供はいないため、北大路欣也氏は自分たちの老後に備えて、早めに安心できる環境を選んだのかもしれません。

約1年前には北大路欣也さんと奥様が介護付き有料老人ホームに入居されたという報道がありました。入居された施設は都内の一等地にあり、高級ホテルのような設備とサービスを提供しています。入居金は5000万円を超えると言われており、月々の費用も2人分で約45万円ほどかかるとのことです。



おすぎとピーコ

おすぎ(78才/本名・杉浦孝昭)とピーコ(78才/本名・杉浦克昭)は、1945年1月18日に神奈川県横浜市に生まれた双子です。高校卒業後、兄はファッション、弟は映画評論の道へと進みました。2人は1975年にラジオ番組に一緒に出演し、個性的なキャラ全開のマシンガントークで大ブレークしました。「おすぎとピーコ」として芸能活動を始め、一躍人気者となったのです。

おすぎとピーコは双子のオネエタレントとして長年活躍されてきましたが、近年はおすぎさんが認知症を患い、ピーコさんが一時的に介護をしていたということです。しかし、老老介護による負担やストレスで、ピーコさんも認知症の症状が出始めたため、おすぎさんは2022年2月に横浜近郊の高齢者施設に入居し、ピーコさんも2023年に別の施設に入居したと報じられています。
おすぎさんが入居した施設は、ピーコさんの自宅マンションがある横浜に近い高級施設で、入居金は5000万円を超えるとのことです。施設にはカフェテラスや大浴場、映画館などが併設されており、東京タワーを眺めながら食事を楽しめるそうです。医療・介護態勢も万全で、ホームドクターと専属看護師、ケアスタッフが24時間常駐しています。
ピーコさんが入居した施設は、おすぎさんとは別の施設であること以外は詳細が明らかになっていません。しかし、おすぎさんと同じく富裕層向けの施設である可能性が高いと考えられます。また、おすぎさんの施設から近い場所にあるということも予想されます。

田中 邦衛

田中邦衛氏は、1932年11月23日に岐阜県で生まれた日本の名優です。2021年3月24日に老衰のため88歳で亡くなるまで、数々の名作を生みだしました。特に、「若大将シリーズ」での青大将役や、「北の国から」での黒板五郎役など、ご存知の方も多いでしょう。
田中氏は俳優座養成所を卒業後、1957年に映画「純愛物語」でデビューしました。1981年から始まったテレビドラマ「北の国から」で、葛藤を持ちつつも家族を愛する父親・黒板五郎を演じて国民的な人気を博しました。この作品は、2002年まで続き、田中邦衛さんの代表作となりました。アクション映画やヤクザ映画などでチンピラや殺し屋などの役を演じる一方、コミカルなキャラクターとして多くの作品に出演し、日本アカデミー賞やブルーリボン賞等を受賞しています。



田中氏は、2015年に高熱で入院した後、足の筋力が低下して歩行が困難になり、介護付き有料老人ホームに一時的に入居されました。入居された老人ホームは、家賃や食費を含めて月額20万円ほどで、有名俳優が入居するような特別に豪華な施設ではないものの、奥さんとふたりの娘さんと何度も話し合った上で、この老人ホームを選ばれたそうです。
田中氏は、老人ホームでリハビリをしながら、芸能活動も続けていました。また、家族もほぼ毎日お見舞いに来てくれるということで、田中邦衛氏は家族の愛情に感謝していたそうです。

その後、自宅でリハビリを続けて自力で歩けるようになりました。田中氏は、自宅の玄関に車椅子用のスロープを設置して、老人ホームと自宅を行き来する生活を送っていました。毎日訪れる妻や娘たちに励まされ、懸命にリハビリに励みました。
2017年には、老人ホームから完全に退園して自宅に戻ることができたものの、俳優への復帰は叶わず、2010年公開の映画「最後の忠臣蔵」が最後の出演作となりました。

家族やファンからの励ましを受けて前向きに生きていたのだろうと思います。俳優としての情熱と魅力には、多くの人が感銘を受けたのではないでしょうか。

愛田 武

愛田武氏は、かつて愛田観光という会社を率いて、歌舞伎町で数十店舗のホストクラブを経営するなど、新宿・歌舞伎町でホストクラブの帝王として名を馳せた人物です。2008年に脳梗塞で倒れ引退しまし、2018年10月25日に78歳で亡くなりましたが、その前の4年間は東京都稲城市にある公共型施設の老人ホームに入居していました。


愛田氏が入居した老人ホームは、利用料が安価な施設で、月額費用は約15万円ほどだったと言われています。一時は年商20億円以上を稼いでいたホストクラブの経営者でしたが、後継者争いや家族の自殺などのトラブルにより、財産を失ってしまったそうです。また、認知症や脳梗塞などの病気にも苦しみました。
愛田氏は、老人ホームでも芸能活動を続けていましたが、ほとんど収入がなく、生活費は主に次女が支払っていたということです。老人ホームでは、昔お世話になったホストや従業員が面会に来てくれたり、ビールを差し入れしてくれたりしたそうです。愛田氏は入居後も、歌舞伎町に戻りたいと話していたということです。


愛田氏はその後、2018年9月ごろに体調が悪化し、心臓にペースメーカーを埋め込み、胃ろう等の治療を受けました。そして、10月25日に東京都内近郊の病院で亡くなりました 。
愛田武さんは、ホスト界の伝説として多くの人々に影響を与えましたが、一方でトラブルに巻き込まれるなど、苦しい思いもされていたのでしょう。

まとめ

如何でしたでしょうか?一人ひとり、様々な理由で老人ホームへ入居されてます。テレビで見ていた方が気付いたら年老いて、力が無くなっていく姿は少し寂しい気もします。ただ、終わりがあるからこそ人は輝けるのではないかと感じます。長く生きていく以上、介護は必ず来ます。そんな日が来る前に、私達も沢山、輝いて生きていきたいですね。



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